パン

歴史

日本

日本では、古くは「蒸餅」、「麦餅」、「麦麺」、「麺包」とも表記したが、現代日本語ではポルトガル語のパン(pao)に由来する「パン」という語を用い、片仮名表記するのが一般的である。フランス語(pain)やスペイン語(pan)でもパンという。また日本語を経由する形で、日本による植民地支配が長かった台湾でも、台湾語、客家語などでパンと呼び、また、韓国でも、韓国語でパン(?)と呼んでいるが、これも日本統治時代に日本語を経由して借用されたと考える説がある。

ポルトガルの宣教師によって日本へ伝来したのは安土桃山時代だが、江戸時代に日本人がパンを食べたという記録はほとんど無い。一説にはキリスト教と密着していたために製造が忌避されたともいわれ、また、当時の人々の口には合わなかったと思われる。江戸時代の料理書にパンの製法が著されているが、これは現在の中国におけるマントウに近い製法であった。徳川幕府を訪れたオランダからの使節団にもこの種のパンが提供されたとされる。

1718年発行の『御前菓子秘伝抄』には、酵母菌を使ったパンの製法が記載されている。酵母菌の種として甘酒を使うという本格的なものであるが、実際に製造されたという記録はない。

日本人が、最初にパンを焼いたのは江戸時代の末の江川英龍とされ、彼をパン祖と呼ぶ。日本人にパンが広く受け入れられるのは明治時代のあんパンの発明からである。軍隊ではその場で調理する必要のないパンは常食として使われてきたが、一般に普及したのは戦後GHQによる小麦粉の援助とそれによる学校給食によるパン食開始以降である[要出典]。日本においては、特に惣菜パンや菓子パンと呼ばれる具入りのパンが発達している。

現在、日本においてパン食の割合が特に高いのは近畿地方で、阪神間モダニズムの影響と考えられている。朝食はいつもパンという関西人は少なくない。

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